さて、東京2日目。
六本木の国立新美術館で開催中の「ワシントンナショナル・ギャラリー」展を観る予定。
いつものように浜松町のモノレール駅改札口のロッカーにバッグを預けて
手ぶらになって東京散歩の準備はok。
地下鉄で六本木東京ミッドタウンへ向かいます。
きょうも曇り空、気温も低めで散歩には好都合。
六本木の東京ミッドタウンは3つのゾーンから構成されています。
おしゃれなブランドショップが並ぶ「ガレリア」カフェやレストランなど飲食ショップが集まる「プラザ」
そして都心にいることを忘れさせる緑の癒しの森「ガーデン」。
きょうは美術館へ行く以外予定はないので、ここでゆっくりと過ごすことに。
プラザ内でひときわ目をひくのが羊羹のとらや。
店の構えの洗練されていること!ホームページを見ていただくと分かりますが、
「文化」とはどういうものかということをよく知る企業です。
この日もショップ内で「和菓子を聴く展」。
菓子の名、意匠、味わいから連想される情景を音楽で表現するというもの。
曲目は「夜の梅」「水の宿」「残月」ショップ内、菓子と一緒にヘッドホンで聴くことができます。
菓子の意匠も美しく、四季の自然を写す和菓子の美を再認識します。
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と館内に、1枚のポスター。ガーデンエリアにあるミュージアム「21-21」で、
三宅一生企画の「東北の底力、心と光」展。さっそく行ってみることに。
地に寝そべった形のミュージアムは安藤忠雄の設計、
まるで住居表示のようなサインはミュージアム名の「21-21」。
東北の伝統的な手仕事にインスパイアされた服飾デザイナー三宅一生。
和紙、からむし織り、ホームスパン、こぎん刺しなど
身のまわりの自然を素材に生活品を紡ぎ出した東北の人たちの知恵と根気。
長い冬に培われた手仕事は堅牢でしかも美しい。
その優れた文化が震災によって絶やされることのないようエールがおくられます。
ベニバナ染めのウールのセーターの色の美しさ、
木の皮をそぎ撚って糸にして織り上げる科布の力強さ。
気の遠くなるような緻密な手仕事を見ながら、
もう一度機を織ってみたくなりました。
実は10年ほど前には趣味の織りだったのですが、
義父の介護で中断。そのまま織機は埃をかぶったまま。
ミュージアムの裏手、20メートルもあろうかと思われる横長の1枚ガラスがはめこまれています。
以前ミュージアムの工事を追うTVのドキュメンタリーで、
ガラスが重みでたわみ職人を泣かせる場面を思い出します。
たしかに内からみると、横長に切り取られた風景はきれいなのですが。
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ともあれ、銀杏、桜、楠など大樹が青々と繁るガーデンを抜け、国立新美術館へ。
新しいビル群のなかに庶民的な町並みが残る、そのコントラストが楽しい通り。
ミッドタウンから歩いて5分、国立新美術館へ。
正面左のまるい建物、前にも書きましたが 1千万円かけて造られたカサ置き場。
設計者の自己満足、国税の無駄使い。
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ワシントンナショナルギャラリーは、
アメリカの実業家アンドリュー・メロン氏が建てて国に寄贈した美術館で、
以後、個人が寄贈する作品で充実してきました。
このたび展覧会のために海を渡ってやってきたのは印象派の作品90点。
通常所蔵作品の貸出は1度に9点までと決められ、この度は例外中の例外。
前代未聞、これより前にも後にもない展覧会だといいます。
キャッチフレーズは「これを見ずに印象派は語れない」。
その通り、珠玉の作品がずらり。
古典の画家たちが宗教や歴史を精巧に描いたのに対し、
自然の光や風、市井の人々の生活風景を生き生きと描いた印象派の画家たち。
明るい色彩、のびやかな筆致に強く惹かれます。
館内とてつもなく広いので人も少なく感じますが、いいえ、展示場は大混雑。
頭越しにセザンヌの「赤いチョッキの少年」をながめます。
館内あちらこちらに休憩用のベンチ。一つ一つが高名なデザイナーの作品です。
たとえば、これ。1957年に発表された「PK80」デンマークの家具デザイナーの作品です。
ひとつ欲しいけれど、お高いんでしょうねぇ。
ファサードに使われた数千枚のガラス1枚が5万円。
今は亡き建築家の黒川さん、やりたい放題。
90点もの作品、気を入れてみると疲れます。外のデッキスペースで珈琲ブレイク。
蝉が鳴いてます。雀も遊びに来ています。
あちらこちらに緑が多く、憩いのスペースも多い東京は上手に使いこなせば
楽しく遊べる街。地下鉄で30分もあれば都心まで出られる世田谷のはずれあたりに
畑のある小さな家を持ち、ときたまこうやって街遊びをする暮らしも良いかな、
などと妄想をふくらませながら珈琲を飲み、「くたびれたから、もう帰ろうかな」。
ヒコーキを一便早めて、comeホーム。
良いものを見てふれて、充電オーケーな2日間でした。